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盛岡だより 第3回 盛岡城跡

岩鋳・南部鉄器

今回は盛岡城跡(現在:岩手公園)を紹介させていただきます。

                                            文 写真  淺沼里沙子

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盛岡城跡は市内の中心部、北上川、雫石川、中津川が合流する丘陵地にあります。寛永10年(1633)に27代南部藩主利直の時代に盛岡城(別名:不来方城)として完成しました。南部藩は戊辰戦争で破れたため、天守閣などの建物はすべて取り壊され、現在は累累と積まれた石垣と池だけが残っています。石垣は盛岡産の花崗岩を積み上げたもので、東北三大城跡の一つとして知られています。盛岡城で注目すべきは石垣のほかに、北上・中津川を天然の外堀とし、内堀(亀ヶ池と鶴ヶ池)・外堀、総構えの堀を三重に巡らした「水の都」プランです。残念ながら現在は内堀の一部をのこすのみとなりました。
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▲内堀(鶴ヶ池)

明治末期から岩手公園として市民に親しまれ、官庁街と商店街に囲まれた町中にありながら、静かにゆっくりと時が流れている場所です。この時期は紅葉がとても美しく、春には桜の名所に、夏には緑の木陰をつくり、そして冬は雪景色にすっぽりと包まれ、ライトアップされた石垣が幻想的な夜を演出し、四季を通して楽しめる盛岡市民の憩いの場所となっています。

岩手県出身の石川啄木や宮沢賢治もこよなくこの城跡を愛し、数々の名作を残しています。

啄木が通っていた盛岡中学は城跡にほど近い内丸にありました。中学時代の啄木は
教室を抜け出しては、この城跡に何度となく訪れ、桜や新緑、紅葉などの季節の
美しさを感じていました。

「不来方のお城の草に寝ころびてそらに吸われし十五のこころ」の歌碑が建てられています。
書は盛岡中学で二級先輩の金田一京助。

石川啄木文学碑

中津川近くに立つ碑で、死の一ヶ月前にあたる昭和8年8月22日に日付がある百編の文語詩の中の一つが刻まれています。
宮沢賢治詩碑
教育記念像 堀江赳・作 拡大
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盛岡城跡(岩手公園)
JR盛岡駅から東へ徒歩15分。車で5分。
▲地図

次回は「鬼の手形伝説」です。

岩鋳販売株式会社

淺沼里沙子


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