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沖縄本島の旅


 三線の音色、独特の音階の沖縄民謡が好きだ。そしてその音楽が生活の中に溢れているのが好きだ。泡盛をあおって、沖縄民謡を大きな声で歌いたい。
 気候、風土、歴史そして芸術・・・それらが渾然一体となった空気が好きだ。その空気を思いっきり吸い込みたい。
ある沖縄の方が言った。沖縄は「チャンプルウ文化だ」と。「ああ、そうなんだ。いろいろな文化が混じり合っているのだな!?」きっと僕はそれに惹きつけられているんだ・・・好きだ。沖縄。

三線・・・沖縄三味線  チャンプルウ・・・沖縄の豆腐や野菜や肉の炒め物。ごうやチャンプルウは有名。

 羽田から那覇空港に向かう途中の九州上空で、飛行機が少し揺れた。九州に台風が上陸しているからだ。ただ暴風圏内に沖縄が入っていないので、那覇空港には無事着陸できた。しかし沖縄の空はどんよりとした灰色の雲が、いっぱいに覆っている。でも明日は晴れて、緑色に輝く海とご対面できるだろう。
さあ、沖縄の旅の始まりだ。


南部戦跡・ひめゆりの塔

 1945年(昭和20年)3月23日、米軍の沖縄上陸作戦が始まった。日本の沖縄守備軍は総勢約11万人。それに対し、米軍は18万3千人(後方支援部隊を含めると54万8千人)。物量の差を含め、米軍の優位は歴然としていた。日本軍の目的は、米軍の日本本土上陸を1日でも遅らせるという持久作戦にあった。これが、戦いをより悲惨なものにし、沖縄住民12万人余という多くの犠牲者をうんだ。
 1945年(昭和20)3月23日、※沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒222人、教師18人は、那覇市の東南5kmにある沖縄陸軍病院に配属された。陸軍病院といっても、40近くも張り巡らされた横穴壕で、むき出しの土塀に粗末な2段ベットが備え付けられた、そんな施設であった。4月になると、死傷者が激増し、収容人員をとてつもなく超えた状況での学徒らの作業は、私たちの想像をはるかに超えた苦しく悲惨なものだった。5月下旬米軍がせまり、学徒らは、陸軍病院を出て、本島南部へ向かう。そこは伊原周辺地区で、自然洞窟が多く、そこに入ることになるが、もう医療という機能は完全に失われていた。
 6月18日、戦況はひっ迫を極め、「解散命令」が言い渡される。それは自らの判断で、行動することを求められる。自由の身?否、突然敵中に放り出された分けだ。実は解散命令以降の学徒隊の死者は、それ以前の数倍に達しているのだ。

※ひめゆりの由来
沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の校友会誌が、それぞれ「乙姫」「白百合」で、その中の「姫」「百合」が合わさって、「ひめゆり」となった。

 下にガマ(洞窟)の画像がある。これは伊原第三外科壕として使われていたもの。約100名がいた(その中にはひめゆり学徒51名(教師5名、生徒46名))。解散命令後の6月19日早朝、米軍のガス弾攻撃を受け、80名余が死亡。ひめゆり学徒で生き残ったのは、わずか8名。生き残った学徒も、壕を出た後、さらに3名が亡くなった。下画像のひめゆり平和祈念資料館には、その実物大の洞窟模型がある。開口部から下におりるだけでも、どれだけの苦労があったか、想像に難くない。

 沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校から教師18名、生徒222名、合わせて240名のうち、教師13名、生徒123名が戦争で亡くなった。学徒以外にも教師3名、生徒87名、計226名が戦死した。祈念館では、ひめゆり学徒全員の顔写真が掲載され、言いしれぬ悲しみを誘う。また戦場での証言が展示され、そのむごさに言葉を失う。ひめゆり学徒は、平和祈念の象徴として、永久に語り継がれることと思う。ただひめゆり学徒以外にも多くの学徒の命が奪われたことも忘れてはいけない。

 ひめゆり平和祈念館内を回って、出口付近の展示室の青い大きな側壁には、全面に大きな字で次のようにしたためられている。

「太陽の下で大手を振って歩きたい」
「水が飲みたい、水、水」
「お母さん、お母さん」
学友の声が聞こえます

私たちは
真相を知らずに
戦場へ出て行きました

戦争は
命あるあらゆるものを殺す
むごいものです

私たちは
一人ひとりの体験をとおして知った
戦争の実体を語り続けます

参考資料: ひめゆり平和祈念資料


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ひめゆりの塔
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献花させていただいた。
ひめゆりの塔に隣接して
供えられている千羽鶴。
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この植物は、当時のままなのか?
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「ひめゆりの塔」にあるガマ(洞窟)
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ひめゆり平和祈念資料館
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