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富良野


北海道のほぼ中央「富良野」。ロマンチックな名称「ふらの」。東に十勝岳連峰、西に夕張山系芦別岳がそびえる。夏はラベンダー、冬はスキーで多くの観光客が訪れる北海道人気の地だ。
ファーム富田
 車中より撮影したファーム富田。多くの観光客の列が見えた。
広大な約10haの土地に、ラベンダー ポピー カスミソウ ヒワマワリ・・・・・季節ごとに様々の花が咲く。特に7月ラベンダーの咲く季節は美しい。
ラベンダーの人気はここファーム富田から始まった。
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ふらのワインハウスで

窓越しに雄大な十勝岳連峰のパノラマを眺めながら食事がとれる。一枚丸ごとステーキを食べるのは数年ぶり。私は生焼きの肉が嫌いで、ウェイトレスに「しっかり焼いてね」と伝えた。英語が思いつかなかったのだ。
ワインは北海道で「十勝ワイン」と人気を二分する「富良野ワイン」。
ふらのワインハウス
正面。
富良野ワインは、料理とのコンビネーションを考えて辛口嗜好と聞く。 拡大
今日の昼食は富良野和牛のひれステーキ。
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ふらのワインハウスより
十勝連峰を望む。
麓郷(ろくごう)の森
「北の国から」の舞台になった地「麓郷」。富良野の中心地よりかなり山の奥へ向かう。布部川沿いを走る麓郷街道を通るが、途中かなり深い森で、豪雪地帯の富良野、その中心地よりもかなり標高が高く、人々の雪との格闘が容易に想像できる。

麓郷(ろくごう)の森は黒板五郎の丸太小屋、トタン屋根の家を中心に喫茶店、ギャラリーなどが点在する。鬱蒼と樹木が茂る森の中にある。
丸太小屋内部に設置されている案内板より
 1982年「北の国から」の放映以来、多くの方々が「黒板五郎の丸太小屋」を訪れております。
この度ドラマ設定上焼失することになり移動しなければならなくなりこの森林に移しました。また、ここを訪れた方々にゆくり休んでいただこうと色々な丸太小屋も作りました。

この建物は連続テレビドラマ「北の国から」(1981年10月~1982年3月)の中で、五郎がこつこつと作り上げ、最終回で完成した丸太小屋です。
「1984夏」の中に炎上するシーンがありますが、本物はこのように保存され撮影では同様のセットを作り炎上シーンを撮りました。
また火事の後に、住まいとなった建物が裏手にありますのでそちらも御覧下さい。
黒板一家の思い出と共に、この丸太小屋を大切にしていきたいと思いますので御協力をお願いします。
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遊歩道から見た樹木。
「北の国から」に登場する「トタン屋根の家」
見るからに廃屋という感じだ。危険なので中には入れない。建物の様子を見ているとドラマで使用した建物とは思えない。かってはここで「北の国から」の登場人物達が、実際に生活していたのだという錯覚に陥る。
寂寥感がこみ上げてくる。
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なぜか風力計?風見鶏?
をよく覚えている。
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廃屋がなぜか美しい。
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活躍したであろう
ストーブ
何かもの悲しい
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これはお風呂?
フラワーランド かみふらの
実は強風をともなった大雨のため中には入らなかった。敷地15hの広大な観光農園。
雨を避けるため、大きな売店に入る。
ポプリなどラベンダーを中心とした数多くの商品が並ぶ。
ラベンダー紹介(かみふらの十勝岳観光協会パンフより)
地中海原産のシソ科植物で、昭和になってから香料会社が日本で試験栽培を
開始した。
北海道が適地に判断され、札幌周辺の直営農場で作付けをおこなっていたが、戦後上富良野で初めて契約栽培の方式で一般農家の作物として生産が始まり、その後北海道の奨励作物として、全道に耕作が広まったが、輸入品との価格競争に敗れて1965年末急速に作付けが減少した。
栽培発祥の地として、上富良野では最後まで香料会社との契約栽培が続いたが、1977年で引取りも打ち切られ、多くのラベンダー畑は、廃耕を待つばかりの状態になっていた。
この頃、ラベンダーは北海道の初夏の丘を紫に彩る風物として知られており、これら耕作者は観光作物としての生き残りに努力を始めた。
上富良野町においても、1979年に第1回ラベンダー祭を開催、翌1980年には観光ラベンダー園が町内各地に整備され現在に至っている。
現在は、ラベンダーシーズンの切花、鉢植の販売の他に、ドライフラワーやポプリ加工をして土産品として通年出荷している。


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