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佐渡の旅 3/佐渡金山
八幡というところに宿をとった。左下の画像はそこから撮った朝の写真。霧がゆっくりと上昇して、なにか天気が回復する兆しだ。 昨日の夜はホテルのロビーで佐渡おけさが披露された。たぶん本格的に見るのは初めてだ。 陽気な踊りを予想したが、それに反して、もの寂しい踊りという印象だった。歌は哀調をおび、どこか悲しげだ。手足の動きは洗練されていて、特に指先まで神経が行き届いている。美しい様式美が感じられるが、くり返される動作を頭にパターン化してしまえない。かなり難しい踊りだ。 本日はこれから佐渡金山に行く。 |
拡大 宿より撮影。 |
拡大 雲が昨日よりも高くなった。 |
硬い岩盤を原則たがねとくさびだけで掘っていく。電気も電動工具もない世界。過酷な労働であったに違いない。密閉された暗闇の世界。闇と閉所の恐怖が働く人々を襲ったに違いない。 金は塊で地中に埋まっているのではない。(そういうのもまれにあるのかもしれないが)1トンあたりに何グラムの割合で金が含んでいて、その金の価値とそれを取り出すコストの比較で、掘る掘らないの決定が下される。現在金山がまったく枯れてしまったわけではなく、コストに合わないことが閉山となっいる理由だと思う。(金山は平成元年まで開山していた) |
<佐渡金山> 慶長6年(1601年)開山。産出された金銀は徳川幕府の基礎を築き、日本最大のとしてその名を全国に知られてきました。 平成元年3月(1989年)鉱量枯渇のため採掘中止。 ・佐渡金山の鉱脈 東西に約3,000m、南北に約600m、深さ約800mの範囲に分布しており、※宗太夫坑はその西の端に位置しています。 ・坑道の総延長は約400Km これは相川から東京までの距離に相当します。 ※宗太夫坑・・・ 江戸初期の富坑のひとつ、「青盤脈」を掘ったもの。両側にはたくさんの狸穴が走り、金銀の鉱脈が手にとるようにわかります。 ・道遊の割戸 金山のシンボルで徳川時代初期の露天掘りの名残です。 ・金鉱脈の姿 鉱脈は1枚ではなくて、数10mから数100m離れて何枚もほぼ平行に存在し、その1枚も木の枝のように分かれています。 ・金生産量 388年間に採掘した金の量は 78トンです。 徳川時代・41トン 明治時代・8トン 大正時代・7トン 昭和時代・22トン (株式会社ゴールデン佐渡 佐渡金山 パンフレットより) |
金山にある廃屋。 | 拡大 たくさんの狸穴が掘られている。 |
佐渡金山への入り口。 | 拡大 資料室の脇を流れる渓流。 この展示室に展示のミニチュアの模型が なんとも解りやすくて楽しい。また、 12.5Kgの純度99.99%の純金塊が 展示され、直接触れることができる。 |
拡大 私達が歩く坑道。 |
拡大 坑内には等身大の電動人形がを配され、当時を 音と動きで再現している。 一瞬ドキッとさせられるリアルさがある。 この画像はわき水をくみ出しているところ。 |
拡大 | 拡大 |
拡大 | 拡大 やわらぎ。安全と鉱脈が軟らかくなる ことを祈って大山祗神社に奉納。 |
拡大 佐渡金山を管理するために建てられた 奉行所を再現。 |
拡大 佐渡金山の見学を終え尖閣湾へ、海岸沿いを 北へ走る。その途中の風景。 下2枚の画像も同じ。 |
拡大 海と千枚田。 |
拡大 尖閣湾へ向かう途中の集落。 |
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