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高知市を行く・・・高知城
NHK 大河ドラマ「功名が辻」仲間由紀恵・上川隆也主演 のメイン舞台となった高知城。関ヶ原の功績により土佐を拝領した山内一豊だが、ドラマを見ていて一番気になったことがある。それは「山内」の呼び方だ。私を含め多くの方は「やまのうち」と読んでいたと思う。しかしドラマでは「やまうち」となっている。しっかりとした時代考証を通してのドラマだろうから、たぶん「やまうち」が正しいのではと思うようになった。今回、高知でのガイドさんは「やまうち」と呼んでいた。いろいろ調べてみたところ、最近ではどうも「やまうち」が学説的に正しいようだ。 高知城はかっては国宝に指定されていた。ただ一時期その乱発?がおこった為か、その認定の見直しがおこり、現在では重要文化財となっている。追手門の前には、国宝に指定されたときの石碑が今も残っている。一度は追手門を残して焼失した城だが、江戸時代に再建され、創建当時の構造、面影を十分に保っているようだ。また追手門と天守閣が同時に目に入り、美しい構成をなす城は大変珍しいと聞いた。現在でも、国宝に値する名城だ。 |
高知城略年譜(高知城の観光パンフより抜粋) 土佐24万石を龍封した山内一豊によって創建・経営され以来約400年余りの歴史を有する南海の名城として名高い。 慶長6年 1601 山内一豊土佐国に入国し浦戸城に居城。現在の城山・大高坂山を新城の地と定め江戸幕府へ報告。築城着工にかかる。 慶長8年 1603 本丸と二ノ丸の石垣工事が完成。 慶長16年 1611 三ノ丸工事が完成し、着工以来10年目にしてほぼ全城郭が整う。 享保12年 1727 城下町の大火で追手門を残し天守閣はじめ城郭のほとんどを焼失する。 延享3年 1746 本丸の建設に着手する。 宝暦3年 1753 三ノ丸完成し、再建以来25年目にしてほぼ全城郭が整う。 |
下記の画像は天守閣に向かうまでの時間の経過に従って写真を並べた。途中、石段を登っていくのだが、それが結構きつい。歩幅が合わず疲れる。もっとも、登りやすいということは、敵が攻めやすいということにもなり、登りにくいことは当たり前のことか。 |
拡大 不思議な石垣だなと思っていたら 県立文学館の外壁だった。 |
県立文学館の表玄関。 | 県立図書館 |
拡大 山内一豊象。人物に対して 馬が小さいな、というのが印象。 |
拡大 追手門とお堀。 |
拡大 追手門と天守閣が同時に 目に入る城はめずらしい。 |
拡大 |
拡大 高知城 追手門。 |
追手門の太い梁。 一本もの。 |
拡大 高知城天守閣と板垣退助像。 美しい構成・配置の写真が撮れる 場所らしい。 |
拡大 石樋・・・集められて排水が 石垣に染みこんで地盤がゆるまないよう 排水する為の工夫。 (上部の突出した板状のもの) |
拡大 山内一豊夫人と馬の像。 |
拡大 しんどい石段を登り だいぶ天守閣に近づいた。 |
拡大 詰門・・・本丸と二ノ丸をつなぐ役目をはたす。 |
古城の道。 |
拡大 石垣の上には、棒状の鉄が並べて 取り付けられ、敵の侵入を防いだ。 忍び返しと呼ばれている。 |
拡大 本丸正殿入り口 |
拡大 天守閣 |
天守閣の急な階段。 急で登りにくい。 |
展示場にもなっている 天守閣内部。 |
拡大 天守閣、最上階より。 |
拡大 天守閣の窓よりのぞいて見たシャチホコ。 |
拡大 小さな窓。顔を出して あたりを眺めてみた。 |
拡大 石落とし。石を落としたり熱湯を 流したりして、敵の侵入を防いだ。 |
天守閣からの眺望。 |
天守閣からの眺望。 | 天守閣からの眺望。 |
天守閣からの眺望。 | 天守閣からの眺望。 |
本丸の庭園の一角。 | 精細に彫られた欄間。 |
拡大 右上の欄間とは趣の違う モダンな欄間。 |
拡大 本丸正殿。殿様の部屋。 |
拡大 本丸正殿の殿様を守る武士が 待機した隠れ部屋の扉。 |
拡大 隠れ部屋。かなり暗く狭い。 |
拡大 隠れ部屋の欄間。 |
拡大 NHK大河ドラマ 功名が辻 仲間由紀恵が着た衣装。 |
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