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水郷・柳川 その1
飛行機のエンジン音が変わり、機体が徐々に高度を下げているのが分かる。しばらくすると、福岡の街のビル、家並みが、窓を通して、はっきりと視界に入ってきた。東京から福岡まで飛行機で約1時間45分。しかし西風の影響か、到着が15分程遅れている模様。町並みの広がる福岡上空に入っても、なかなか着陸態勢に入らない。福岡は大きな都市なのだ。さらに機体は高度を下げ、窓から町の様子がはっきりうかがえる。町上空に入っての低空飛行は、福岡空港が町の中心部にあるのだということを教えてくれた。 今回の福岡訪問は、観光が本来の目的ではないので、観光地へ赴くのは一ヶ所しかない。しかし唯一のその場所は、前から最も訪れたかった「柳川」だ。柳川というと男声合唱の経験がある人は、すぐに思い浮かべる曲がある。それは北原白秋作詞 多田武彦作曲の「柳河風俗詩」だ。これは男性合唱のバイブルといっても過言でない。もう聴いていて、歌っていて、郷愁で胸がいっぱいになる。その地を今回初めて訪れる。もう楽しみでたまらない。尚、柳河風俗詩は「柳川・水郷2」でご紹介している。 |
福岡というと、国際的貿易港、屋台、豚骨ラーメン、博多人形、ドーム球場などをすぐに思い浮かべる。その他に、著名な名所などが多くあるのだろうが、残念ながら行く時間がない。(写真も全く撮られない。上記に2つほどあるが、なんだかちっとも博多を象徴していない、つまらない写真だ)それでも唯一訪れたのは、博多の屋台だ。屋台は私の想像していた姿と違う。大きな集合体、屋台村のような姿を想像していたが、意外と広く点在しているという感じだ。そして豚骨ラーメンだが、かなり濃厚。東京でのものより、味が強く、こってりしている。たぶん食べ慣れると、違うかもしれないが、私は少し苦手だ。 ところで福岡、博多二つの地名がどうもよく分からない。福岡と博多が混在しているように思う。この件について疑問に思い調べてみた。 |
慶長年間(1596~1615)に黒田長政は那珂川西部に城を築き、城下町の名を黒田家先祖ゆかりの備前国の福岡と同じにした。那珂川を挟んで商人の町博多と城下町福岡が区分されるようになった。それだけに武士の町福岡に対する商人の意地もあった。1889(明治22)年市制発足のとき、市名決定をめぐって博多と福岡が対立、博多の町人は独立論までとなえて博多市を主張したがいれられず、県告示で福岡市と決定した。不服の博多側は翌年の市会に市名改称を建議したが、票決では13対13となり、議長の意見を求めて結局1票差で変更はほうむられた。それに対して、同年12月開通の九州鉄道(現JR鹿児島本線)の駅名は博多となり、全国でも珍しい市名と駅名のちがう都市なった。 福岡県高等学校歴史研究回 編 「福岡県の歴史散歩」 (株)山川出版社より |
福岡市内から福岡北九州高速道路、九州自動車道を経由して、柳川に向かった。水郷・柳川は堀割(地面を掘って作った水路)で構築され、川ではない。慶長6(1601)年、筑後33万石余の城主になった田中吉政により、柳川城をとりまくように堀割が整備された。その全長は470kmというから、驚きだ。 いよいよ、柳川の定番である、どんこ船による川下りだ。堀割にはいくつもの橋がかかり、大変狭い空間を成した橋下をくぐる。中腰にでもなろうものなら、橋の天上に嫌というほど頭をぶつける。堀割の両岸には、格子状の模様をあしらった伝統的な家屋、石垣、白秋道路などの散歩道。覆い被さってくるような豊かな木々。白秋の童謡などが彫られた歌碑が、かわるがわる現れ、私たちを出迎えてくれる。モーター音など聞こえない、静けさのなか、船頭さんの長い竿で船はゆっくりと進む。時に船頭さんの土臭い歌声が水面に流れる。実に豊かな、ゆったりした時間だ。時々出くわす、鴨たちの登場も心を和ませてくれる。僕は北原白秋の歌を何度も口ずさんだ。いっそ大きな声で歌いたくなった。でも勇気がなかった。それに船頭さんより上手だとまずい。 船頭さんがいろいろと説明してくれたのだが、写真を撮ることに忙しく、まったく頭に入らない。ここに掲載した写真の説明を載せたいところだが、それがかなわない。ただ多くの写真が時間の経過とともに順に並でいるので、柳川の船下りのイメージがいくらか表現できたと思う。 |
拡大 乗船場。地味な乗り場に 驚き。乗り場はあちらこちらに あるよう。 |
拡大 | 拡大 | 石垣 |
拡大 堀割水門 |
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私の郷里柳河は水郷である。さうして静かな廃市の一つである。自然の風物は如何にも南国的であるが、既に柳河の街を貫通する数知れぬ溝渠(ほりわり)のにほひには日に日に廃れてゆく旧い封建時代の白壁が今なほ懐かしい影を映す。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 北原白秋 思い出 わが生ひたちより |
各橋には、名前が付けられ ている。 |
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鴨が一羽。 | 右側に石像。 | 長い竿を手にして 船頭さん。 |
ここにも石像が。 | 橋下は竿が使えないので この紐を手繰って 前に進む。 |
なんと記念写真の 撮影場。船ごと写す。 |
拡大 | 拡大 並倉 明治に作られた赤レンガ倉庫。 |
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拡大 護岸はいろいろな姿を みせる。 |
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拡大 | 水上売店。 |
船着き場? あちらこちらにステージが 用意されている。 |
拡大 柳の木がよく似合う。 |
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