高崎市 旧井上房一郎邸 | 富岡市 富岡製糸場 |
高崎市 旧井上房一郎邸
高崎に来たのは、観光のためではない。あるピアノコンクールの本選を聴きに行くためである。しかしせっかく高崎まで来たのだから、観光もということで、今日は高崎に宿をとった。高崎駅は、かなり大きな駅だ。新幹線(上越新幹線、北陸新幹線)が止まるだけでなく、多くの路線が乗り入れている。高崎は鉄道だけでなく、多くの国道や高速道路も集まり、交通の要衝となっている。 高崎は今まで、伊香保など温泉へ行くのに、何度も通っているのだが、駅へ降り立った記憶は、ほとんどない。群馬は本当に温泉が多い県である。本当は伊香保のホテルに泊まりたかったのだが、演奏の時間の都合で無理なため、駅すぐそばのホテルとなった。 本日は、遠くの観光地に行くことができないので、駅の観光案内所へ行き、歩いて行ける距離の観光スポット2ヶ所を教えてもらった。一つは「高崎市美術館」そして「高崎市役所の展望ホール」である。高崎美術館は撮影できなかったが、美術館の敷地に並立する「旧井上房一郎邸」を撮影した。また展望ホールには上らなかったが、役所周辺の城跡の公園を散策した。 高崎の駅弁は「だるま弁当」「峠の釜めし」が有名だ。高崎駅近くで昼食をとろうと計画し、予定通り昼に駅に着いた。駅を歩いていると、偶然、峠の釜めしのメーカーさん直営のお店を見つけた。何十年ぶりに峠の釜めしをいただいた。一寸嬉しかった。(残念ながら、写真を撮るのを忘れた。) |
高崎市美術館 高崎駅から徒歩数分である。私が訪れた日は、「犬塚勉展 永遠の光 一瞬の風。」を催していた。驚くべきリアリズムである。大変親しみのわく画風である。ただ私の好みとしては、2Fに展示の心象的な風景画(私がそう思った)に心惹かれた。絵を見終わると1Fに戻り、旧井上房一郎邸に向かった。 |
旧井上房一郎邸 屋根は鉄板使用。外壁は木である。平屋で格子の窓を全面に大きくとり、開放感を感じるとともに、とても親しみのわくデザインだ。中央より右寄りに、※パティオを配置している。これは建物にわくわくするような変化を与えてくれる。左右の部屋が分断されるが、ひとつの通路・廊下でつながっている。立方体の建物にアクセント加えながら、統一感を崩さない。繋がっていることが、どこか安らぎの空間であることを意識させてくれる。中庭にはテーブル椅子がセットされて、田舎の広い玄関のように、気楽な来客を迎え入れられる雰囲気を感じる。家と自然とのつながりの空間でもある。 決して豪邸というような建築ではない。当時は、新奇な建築であったかもしれないが、しかし瀟洒で、落ち着いた空間を構成している。こんな家に住めたら幸せである。そのまま自然に溶け込んでいくような外観。内省的で静かに物思いにふけりたくなるような内装。いつまでも佇んでいたい。 ※パティオ・・・スペイン風の屋敷の中庭。(デジタル大辞泉参照) 井上房一郎(1898-1993) 高崎市にあった井上工業のオーナー。早稲田大学に進学後、芸術文化を学ぶためパリへ留学。帰国後、工芸運動に力を注ぎ、ドイツの建築家ブルーノ・タウトを迎えてミラテスという工房をつくる。戦後は群馬交響楽団、群馬県立近代美術館の設立、群馬音楽センターの建設に深く関わり、その生涯をパトロンとして、地元の文化活動に捧げた。高崎白衣大観音の建設者である井上三郎は実父。 (旧井上房一郎邸 建築解説 発行 高崎市美術館 抜粋) |
拡大 屋根は片流れのシンプルな形状。 |
拡大 窓硝子が印象的だった。 |
屋内より庭をながめる。 | 拡大 奥は庭の茶室。 |
拡大 居間と暖炉 |
拡大 中庭より居間をながめる。 |
拡大 居間の天井よりの明かり取り。 |
拡大 屋内より中庭(パティオ)をながめる。 |
拡大 寝室。右手はソファベッド。 |
化粧室? |
拡大 外より和室8帖 |
拡大 外より台所。システムキッチンの走り? |
バス トイレ。 |
高崎市役所 高崎市役所へ向かう。途中の歩道は広くまるで札幌のよう。 |
高崎駅から市役所へ向かうメインストリートの 途中に出会った旅館。豊田屋旅館。 この建物は昭和7年に建てられたもの。 現役である。国の有形文化財。 |
城址公園 お堀 |
城址公園 お堀 |
城址公園 |
高崎公園 | 高崎公園裏手より望む 鳥川 |
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