日本橋人形町

 幼少期、幼稚園・小学校低学年の頃、昭和30年代後半の時代と思う。私は日本橋人形町で育った。始めは日本橋浜町(清洲橋のとば口)に住み、その後は人形町の中心部にほど近い蛎殻町という場所に移った。人形町は常に生活の中心にあつた。今回、懐かしさいっぱいで人形町を訪れた。
 当時の人形町をよく思い出す。目抜き通りには、たっぱのそろったお店がぎっしりと軒を並べ、賑やかで元気な商店街を形成していた。さらに路面電車の往来が、より町に華やかさと彩りを添えていた。人形町の中心部の一画、水天宮の交差点に接した、とある店では、ほかほかまんじゅう(私はそう呼んでいた)を蒸す蒸気がいつも噴き出していて、それが「人形町」という香りを放っいるようで、私にとっての最も印象深い場所、「人形町」を代表する風景となっていた。その交差点の道を挟んで反対側は、重盛という人形焼のお店で、人形町の看板的存在だ。このお店は今でも人形町の名物店となっている。
 この交差点のすぐそばに、水天宮があり、縁日が定期的に催され、大きな楽しみの一つだったが、普段でも、必ず一件、おばあちゃんの屋台が出ていて、そこで駄菓子やところてんなどが売られていた。ここは大事な子供達の社交場
だった。現在、水天宮は地上2階建となり、一階にはお店が入り、小さな仲見世通りを成している。どうやって工事を施したか不思議である。当時と姿はかなり変わったが、今でも大変地元の人に愛されている。

 水天宮前の交差点に接して店を出す人形焼の重盛。幼い頃、よく食べた。
 今回、ここで人形焼きを買い求めた。人形焼にはあん入りとあん無しがあり、今回はあん入りを選んだ。そしてこの店のもう一つの名物ゼイタク煎餅を2種類買った。ゼイタク煎餅は卵、砂糖、小麦粉がベースの洋菓子ぽいお菓子だ。

お店には古い人形町の写真が飾られていた。失礼して撮影させて頂いた。いつの時代のものか?
私の好きなほかほかまんじゅうのお店が
あった場所。ここから白い湯気を放っていた。
今はもうない。
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水天宮の交差点。
水天宮の小さな仲見世通り。 水天宮は安産、子授けのお宮。
文政元年(1818)創建。
現在の地へ明治5年(1872)に移転。
社殿と鳥居。 拡大
水天宮の社殿。
水天宮 絵馬殿。 威風堂々とそびえる
ロイヤルパークホテル。
何気ない人形町の風景。 大観音寺 門前。
今はあまり見かけなくなった懐かしい風情の時計店。
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老舗の和菓子 寿堂

 今思い出すに、懐かしく、人形町は下町情緒あふれる町だと語ることができるが、当時の幼い私にとって、それは意味をなさず、興味のないことだ。しかし人形町という町が、とっても居心地が良い町で、大好きだったということが、その後転居で、この地を離れてからよく分かった。現在の人形町は、新しい大きなビルや住宅と、老舗のお店などが同居している。昔と当然趣が違う。しかし、歩道は美しく整理され、ノスタルジックな街灯やオブジェが据え付けられ、電信柱は外され、人形町の下町風情の保存を図りながら、新しい町作りを推進している。甘酒横町などは下町情緒が色濃く残っている。現在の景観が末永く維持されることを願う。

 人形町周辺には明治座、浜町公園など見所が多くある。日本橋・七福神めぐりも楽しめる。

 ところで人形町という地名だが、ここには江戸時代歌舞伎小屋があり、そして人形芝居も行われていた。その為人形遣いが多く住んでいたことから人形町という町名が付けられたと聞く。1933年(昭和8年)正式に人形町という町名になった。
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人形町通りに立つ時計台。
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創業宝暦10年(1760)
親子丼発祥の店 玉ひで。
テレビでもよく紹介されている。
今はめっきり数が減った町中の豆腐店。
今半本店。

中央区立有馬小学校。
私が小学校低学年のころ、通っていた小学校。明治6年に旧久留米藩主の有馬頼咸の寄付により創設された、130年を超す歴史ある小学校。すぐそばに水天宮店、東京シティ・エアーターミナル、ロイヤルパークホテルがある。懐かしさいっぱいで訪れてみた。公園(蛎殻町公園)と校庭が一体になっていて驚いた。
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公園と一体となった有馬小学校。幼稚園も同じ校舎にある。
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有馬小学校 校舎。

清洲橋
 幼稚園時か入園する前か、清洲橋通りの橋のとば口に一時住んでいた。橋へは歩いて0分。橋に住んでいると言えるような場所だった。当然橋は間近で毎日見ていた。子供ながら美しい橋だと思った。現在では水色に塗られているが、当時は黒色だった。重厚な吊り橋で、たくさんのリベットや太い支柱、太いワイヤーを眺めているのが、楽しかった。今見ても大変美しいと感じる。この橋は隅田川に架かっているのだが、当時の隅田川はかなり汚く、悪臭がしたのを覚えている。現在では水質だけでなく、護岸もきれいになり、公園になっている。都民の憩いの場だ。清洲橋は現在、国の重要文化財になっている。
 清洲橋が私にとって最も親しみのある橋であったが、もう一つ気になる橋があった。それはかちどき橋だ。大きな船が橋をくぐるとき、橋が二つに割れ、その両先端が上にせり上がり船を通す。これを絵本で何度も見た。どうして車が落ちないのかと真剣に考えていた。しかし当時橋はたびたび開いていたはずだが、実際一度も橋が開くのを見ていない。
遠くに清洲橋が見える。なんだか胸が高鳴る。 拡大
この橋の歩道でいつも遊んでいた。 拡大
モダンな橋の街灯。
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隅田川
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涼しい風が吹いてくる。
隅田川を走る水上バス

 今回、人形町のある老舗の洋食屋さんで食事をする予定をたてていたが、夏期休暇で、残念ながら閉まっていた。テレビでも有名な親子丼発祥の店、玉ひでさんも閉まっていた。前もって確認すればと後悔した。ともかく開いている店を探して入った。昭和のイメージでデザインされた内装のイタリアン・洋食レストランだった。ここで一番渇望していた生ビール、そしてワインを飲みながら食事をした。最後に甘味処を紹介してもらい、赴いた。ここでは湯釜で湯を沸かし、お茶を入れてくれた。昔からの習慣だそうだ。
上画像 人形町のとあるレストラン 
左画像 甘味処 

 下町人形町で一時期育ち、景観とともにはっきり覚えていることがある。それは人が優しかったことだ。後に他に引っ越してみて、子供ながらにも、人との繋がりの心地よさを感じ取った。そのころの生活については短いエッセイで以前書いた。(▲そのエッセイ
温かく、ほのぼのとした人たちに囲まれて過ごした人形町での時。今でも思い出すと、ほんわりと胸にしみる。



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