過去のエッセイ3
■■■はじめてのブロードバンド | ||
僕はコンピューター歴が結構長い。知識も豊富な方だった。でも移り変わりの早いインターネットの世界にかかわるようになってからは、なかなかついて行けない。間違ってもコンピューター通などというしろものではななった。HPの製作に関しては休みの日を含めてかなり自宅で製作するが、お恥ずかしい話、インターネットにつなぐ作業の時は電話が不通になる。そんな環境だった。これには家族からかなり苦情が出た。それでブロードバンドなる代物を今回導入した。それも現在日本での最速、光ファイバーだ。...「ムッ!! 早い 早すぎる!!」「なんだ これは!ストレスがあまりになさすぎて つながった気がしない。」 そう
というわけでこの文章を光ファイバー導入初日に書いている。でも思った。まだ日本中にはいろいろの個人的インターネット環境が存在する。製作する者として、皆さんに見ていただく以上、自分の世界、環境を全体と思ってはいけない。多くの人に優しく作ろう。コンテンツを広く深く、でも軽やかに動くようにしよう!これなら個人のネット環境にはそう支配されない。早い環境の方は一定時間に当然多く内容を見ることができるし、遅い環境の方にもなんとかページが出るのに待ちくたびれることはない。なんとか最大公約数的なサイトになる。 でも今の勢いならネット環境はさらに大きく変貌するに違いない。まあそうなればそうなったときの中庸をわきまえた方法を採ろう。・・・・・でも本当のことをいうと私、実はかっこよく作る、皆様を驚かすようなテクニックがないのだ。勉強しなくては! |
■■■ 盆踊り・・・太鼓の音につられて | ||
近くのどこからか盆踊りの太鼓の音が聞こえてきた。それがどちらの方角かよく分からない。風が吹いているからか?大きな建物に反響しているからか? 小学3年の娘が浴衣を着ていた。それは単なるお祭りらしくという演出であって、盆踊りをするわけではない。会場での出店で買い物が目的だ。8時に帰るので迎えに来てほしいと言って足早に出ていった。僕 小学校の校庭の中心部にはやぐらが建ち、そこの中心部から四方八方に緩やかなたわみを残して張り巡らされているロープに、等間隔に提灯が結ばれている。地元商店の名入れの提灯の連なりは、忘れかけた遠い昔の思い出を呼び戻させる、そんな力を秘め、多くの大人達を幻惑させ、その元に皆を導き寄せている。会場はかなりのにぎわいだ。しかし外の街灯と提灯の明かりそれと星、それだけの光源しかない暗めのトーンの会場は、人の多さと裏腹に不思議な静けさも醸し出している。 とても娘は探せない。時間もある。すぐさま盆踊りの和の中に入った。踊りが分からないので、最も上手そうなご婦人の後ろに入った。男は僕だけだった。盆踊りの動作は、同じパターンを何度となく繰り返す。そして同じ円の軌跡を辿り、皆と一緒に踊る。頭は空になり、雑念がなくなる。いつまでも踊っていたくなる。 踊りに夢中になっているさなか、後から誰かに呼び止められた。娘と友達達だった。娘から8時であることを告げられた。帰る時間だ。なんだか迎えに行ったはずの自分の立場が逆転しているようだった。「もう少しいよう」という僕の言葉は遮られた。 翌日も盆踊りが行われた。しかし僕は行かなかった。いや行けなかった。家族から盆踊りをすることを固く禁じられたからだ。なぜか2日目の太鼓の音が昨日よりも遠くから聞こえてくる様な気がした。 |
■■■雨...名曲案内 | |
雨がふっていたのだ。 あのおとのように そっと世のために はたらいていよう。 雨があがるように しずかに死んでゆこう。 (詩 八木重吉) 多田武彦作曲 有名な男性合唱組曲「雨」の終曲として知られる。この季節しみじみと歌を聴いてみた。この詩のもつ静けさは胸にしみる。この詩の作者、詩の背景は知らない。寂しいとか悲しいとか感じるかもしれないが、そう思う前に、この雨はどんな降り方をしている雨か、どんな空の色か、どんな音か、どう雨があがっていくのか、感じとってみたくなる、そんな歌(詩)でもある。 |
■■■僕の好きだった通り 昭和30年中頃。僕は幼年時代を豊島区、池袋駅にほど近い閑静な住宅街で育った。まだ池袋駅周辺には、空襲での焼け跡が点在していた。街はバスと電車のあいのこの※トロリーバスなるものが走っていた時代だ。私の住んでいた家は、路線バスの通り道に面し、大型バス(ボンネットバス)がすれ違うことのできる程の比較的道幅の広い通りだった。平屋の縁側を広くとった伝統的日本家屋。建物の一角には鋭い勾配の洋風の増築部が組み合わされ、当時は子供ながらに美しい建築と思っていた。そしてもう一つ子供ながらに美しいと思っていたことは、通りの両サイドが数百メートルにわたって、すべて生け垣で埋め尽くされ、緑の側壁が、大人の背丈より少し高い位置できれいにそろい連なっていたことだった。昔とはいえ、このあたりは空き地はほとんどなく、紛れもない都会の一角だ。 私は現在その生け垣があった場所から10分ほど離れた場所に住んでいる。だから長い生け垣があった所をよく行き来する。 現在その生け垣は残念ながらとぎれとぎれになり、通りにできた最近の家は、生け垣をつくる空間が、さももったいないかのように通りぎりぎりまでまでせり出している。僕の好きだった通りは遠くへ行ってしまった。 ※トロリーバス・・・バスだが上にはられた線より電気を受け走る。線路はなく道路を走る。 |
■■■26日午後6時24分ごろ東北地方に強い地震 岩手・宮城を中心とする地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。 岩鋳さんの所在地が岩手盛岡ということで私達大変心配いたしました。全く連絡がつかなかったところ、翌日の午前10時頃、岩鋳さんから無事であるとの連絡をもらいました。その日の午後より、まともに連絡がとれるようになり、弊社の担当に状況を聞いたところ、「古い社屋のガラスが2枚割れる程度で、被害は軽微であった。ただ今までに経験したことのない揺れで、自分の机の上が、相当散乱した」とのことでした。岩鋳のみなさんがご無事で、工場の被害もほとんどないと聞き、私達、胸をなでおろした次第です。 |
■■■ 春は目的をもって行動するには不向きな季節だ。自分にとって春は、やたら眠くなったりする季節。肉体が眠りを求める季節だ。そして心も同じで、やっぱり眠りたがる。この、「こころが眠りたがる」のが、問題だ。春だからといって、仕事をしなくて良い分けがない。「僕は眠りたい。されどやらなければならない」。このジレンマが悩ましいのだ。「眠る」というのは、なにもうたた寝の意味ではない。なにもしないで、
こういう季節には旅行がしたい。景色が美しいとかいうことでなく、吹く風が肌にやさしいとかいうことでなく、ぎりぎりまで行き先を決めず、旅先へ着けば、後は時間に任せて、過ごす。春はこんな思いが強くなる。 ....とかいって結局のところ、テレビの旅行記見ている毎日だ。放送しているテレビ局もそうだが、見る側もよくも飽きずに見ているものだ。特に露天風呂と料理は楽しい。 このテレビを見て、「そうだ近いうちに旅行へ行こう」そう思う。そう夢に見る。でもそれは、いつまでも実行されることはなく、時が経っていく。「ふる里は遠きにありて思うもの」。いつでも行けるのだ。行こうと思って思いを巡らすのがいいのだ。そう自分に納得させる。春はそんな季節だ。 |
■■■ 学生王子のセレナーデ 「お花見」という名目で、学生時代の友人達(女性も含めて)7人と新宿で集合。今日は4月12日なので、都心では「花見」というには、あまりにも時期を逸している。実際、仲間内からは花見の「は」の字もでない。「花より酒」なのだ。花を愛(め)でる気持ちがない分けではないのだが?まあ時間がもったいないので省略だ。 普段、酒を飲んだり、食事をしたり、お茶を飲んだりするときに、結構意識するのは、「雰囲気の良いお店」だ。ところが僕たち仲間が最近利用しているお店は、「○○食堂」という極めて、あか抜けない、品のない、絶対に若い女の子達が寄りつかないだろう類の安食堂だ。どうしてこんな店を選んだかというと、それは、安上がりだからという分けではない。当時金のない学生の僕たちが辛うじて入れるお店。青春を気取って、長々と語り合った店。そんな当時の店を彷彿とさせてくれるノスタルジーからだと思う。 今はちょうど昼。新宿の雑居ビルの一角を占めているこのお店の店内はかなり広く、客は半分くらいの入り。みな定食を食べている。僕たちは、愛想のない年輩の店員にビール頼み、宴を始める。そのうちすぐにアルコールが回り始め、みな、さらに饒舌になる。僕たちは分別のある?中年だ。 声が大きくなり、まわりに迷惑のかからないように、仲間の一人が、注意を始める。(だいたい注意を促す奴の声の方がうるさい)皮肉にも、「声を小さく」と制止するほど、騒がしくなるものだ。・・・・・・・・・・僕たちは、もと合唱団員。皆やたらよく声が通るのだ。 話の内容など、どうでもいいのだ。みな話のリズムに酔っている。そして終盤、テンポと強弱を巧みに操り 最後のタクトの振りおろしは、終わりではない。「さあ 次の店へ行こう!」の合図である。 僕は会話の中でふと、みなに気づかれないように沈黙して昔を思った。 そして目の前にいる仲間のことを思った。 安食堂にBGMはないが、仲間達は、大騒ぎの会話の、ほんの途切れた一瞬に、 僕と同じように「甘く、せつない」学生の頃のメロディーを何度も聴いているに違いないと思った。 (学生王子) |
■■■ 僕はよちよち歩きの小さな子供の手をとって、家の前のほとんど車の通らない通りに出た。子供は家の中では、よちよちとはいえ、とりあえずせわしなく歩きまわっている。もちろんそれは、ほとんど心配はいらないのだが、やはり道路に出るとなると四六時中手を掴まえていないと、とても心配でいられない。 一寸ちょっと考えた。「なんかへんだ」。後ろを振り向いてご婦人と犬を見送った。犬はご婦人と歩調を合わせ上品に歩いていた。 T、M |
■■■春は名のみの風の寒さや・・・・ 弊社の窓から撮った梅の木。よく刈り取られた下草の地面に多くの鳥たちが集まり、何か解らないが餌をついばんでいる。ガラス越しに見ているせいか、鳥たちは僕の存在に気が付かない。そんな様子に春を感じるが、窓を開けると鳥たちが逃げ、寒い冷気が顔をうつ。 M、M |
■■■ 岩鋳さんが、3月8日土曜 「ウェークアップ!」(読売テレビ系 全国25局ネット)にて企業紹介されました。そのテレビを拝見した後、海外での活動はどうんなのか、岩鋳さんに電話にて尋ねてみたところ、30年前から、海外にむけて日本の伝統文化である「鉄器」の宣伝活動を行っていたそうです。そしてここ10年人気が急上昇してきたそうです。確かに現在、海外のインテリアショップや雑誌で「和のテイスト」が紹介されたり、パリを中心とした「禅スタイル」の動きにそれらをみることができます。お国柄
によっては、カラフルなものも好まれるようですが、やはり人気の中心は「黒」で、その量の半部を占めるとのことです。現在ではフランスの三つ星レストランでも使用され、人気がさらに高まっているとのことです。 調理に対する優れた性能と、和洋とわずテーブルの他の食器などにマッチする美しい造形美を備えた鉄器をもっと知ってもらいたい。そう思う次第です。 |
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■■■こちらEC事業部 パソコンを仕事や趣味に十分使いこなすには、かなり勉強が必要だ。ワープロ、表計算、ネット、メールなど仕事に活用するまでにはかなりの量を覚え込まなくてはいけないし、ファイルがたくさんたまったらそれを整理することが必要になる。また最も問題なのは、パソコンのトラブルだ。ある時、突然ファイルが壊れたり、動かなくなったりは、覚悟しなくてはいけない。でも復旧できなければ、その時点で粗大ゴミとなってしまう。私は自慢ではないが、パソコンの重要な中身を破壊してしまって、修復困難に陥り、復旧に1ヶ月以上かかったことが数度ある。だがそのおかげで、勉強の必要に迫られ、副産物の知識がいくらか持てた。この知識は、トラブル回避の想像力を生み出す大きな力になっている。 先日、EC事業部のある茨城から、ネットが全くつながらないというSOSの電話が来た。 「ムッ!仕事がSTOPしてしまう。飛んで行かなくてはいけない!(私は東京在住なのだ) 参ったな!!大変だが行くことを覚悟した。 その数分後、茨城のEC事業部の店長から電話が来た。「直った。後ろの線がはずれてた。」 M、M |
■■■おしゃれをした? 今私は、腕輪をはめている。おしゃれで?いえ違う。それは静電気防止の腕輪なのだ。町を歩いていて、発作的にほしくなり、王様のアイデアで買い求めたのだ。静電気が恐ろしく嫌いな私は、セーターの裏と ただ問題がある。アクセサリーなど縁遠い人間が、腕輪を忘れず付けるはずがない。今も私の腕には腕輪がない。 静電気が嫌いな方 お試しあれ。 |
■■■弊社委員T、M 「お料理に挑戦」レシピ紛失のため掲載できませんでした。ごめんなさい
先日、実家に帰省した際、たまたま料理番組を見た。スペアリブのパイン煮だった。暇を持て余していた私は同じものを作ってみることにした。 料理はそれほど苦手ではない。が、その日はアルコールが入っていたので手元がくるった。最初の塩が多くかかってしまったのだ。気になったが酔っぱらっていた勢いもあって、そのまま肉を焼いて調理を続けた。塩のかけすぎは忘れ、すばらしい出来上がりを想像して、調理に励んだ。そして完成。つぎに試食。 そこで楽しい気分は吹き飛んだ。「塩っかれ~~ ま、ま まずい!!!」。・・・・・ そこへ父が通りかかった。父は私に許可もなく手を伸ばし、スペアリブを口に入れた。 即座に 父 「おお!!!こりゃうまい!いい味だ。」と絶賛。 父 「しかし美味いな もうひとついいか」 私 「あぁ?」 父 「おまえがこんなに料理がうまいとはなあ」 私 「うう?」 私は父に誉められれば誉められるほど「ガクッ ガクッ」ときた。 父はごはんにしょう油をかけて食べても美味いという人間だった。 要するに塩気が濃いければ満足する、食に鈍感な人種だった。 私にとって「うまい!こりゃうまい!」の父の連呼は、大失敗の烙印だった。 T、M |
■■■委員のT、Mの甥っ子は金髪 うちの委員のT、Mの田舎は鳥取県。正月は田舎に帰省し帰ってきてから僕に話してくれたお話。 彼の甥っ子は4才。日本とアメリカのハーフ。髪は金髪、愛くるしく、美形の子で、外見はほとんど外国人。彼にとって、その子は連れて街を歩くと誰もが振り向く、自慢の甥っ子だ。甥っ子の名前は「Makoto」(まこと)。今回正月にJAL(日本航空)でお母さんと日本に来た。お母さんはT、Mの妹にあたる。 機内である時アナウンスがあった。「本日は日本航空をご利用いただき『まこと』にありがとうございました。」すると甥っ子の「Makoto」は「お母さん 僕のことありがとうだって」。お母さんはほほえんで、「『Makoto』は日本語がよく分かるのね」と一応子供をおだてた。(それを日本語でしゃべったかは、T,Mに確認していない。)すると「Makoto」は席の上に立ち上がり後ろを振り向き突然大声でしやべりはじめた。「あいうえお かきくけこ あいうえお かきくけこ ・・・・」(サ行以降はない ア行 カ行の繰り返し)。それを聞いた うちの委員のT、Mはこの子を連れて歩くと自慢でしようがない。小さい町だ。噂になるらしい。 |