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青函連絡船 八甲田丸
青森港へ向かう。雨はだいぶ小降りになってきた。港に着くと雨は上がった。ここで見学するのは、青函連絡船※「八甲田丸」。船体はきれいに塗り替えられ、桟橋に係留されている。この連絡船でのみどころは、なんと言っても1階のデッキ。船の中のデッキに線路が引かれ、本物の鉄道車両が、展示されている。実にめずらしい光景だ。レールは4線。48両の貨車を積むことができた。 ※青函連絡船55隻の中で現役期間が最も長かった船。 |
拡大 メモリアルシップ八甲田丸 |
拡大 船尾 |
拡大 車両甲板 船内に貨車。 |
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青函連絡船について 1908年(明治41年)~1988年(昭和63年)の間、青森港と函館港を結んだ鉄道連絡船。本州と北海道を結ぶ重要な役目を果たし、多くの人に長きにわたり愛された。1988年に運航が終了するが、これは青函トンネル開通によるもの。八甲田丸の栞には次のような数字が記載されている。 ・1億6千万人の乗客。2億5千万トンの貨物を運んだ。 ・航行距離8千万キロ(地球2019週分) その活躍ぶりがよく分かる。 そして悲しい歴史もある。 1945年(昭和20年)第二次世界大戦時、全連絡船にあたる12隻が攻撃を受け、沈没及び壊滅的被害を受ける。 1954年(昭和29年)台風15号が原因で、洞爺丸が転覆。他に4隻が沈没。あわせて1430人の犠牲者を出した。 私は「お台場の船の科学館」を2度ほど見学をしたことがある。そこには青函連絡船・羊蹄丸が実際、停泊・展示されていた。船の中は※ジオラマがいっぱいで(青函ワールド)で、タイムスリップした世界をくりひろげていた。今回のこの船の中に、当時の船の科学館で展示されていたジオラマを複数発見した。破棄される予定であったらしい。しかしそれを惜しむ声があがり、かっての船の科学館のジオラマを継承、八甲田丸にて再登場させた。 ※ジオラマ・・・明治中期に流行した見世物の一。遠近法を用いた長大な背景の前に小道具を配し,照明を施したものを窓からのぞき見るもの。実際の光景を見ているような感じを楽しむ。幻視画。ディオラマ。ヤフー大辞林 第三版より |
拡大 荷物の運搬人のジオラマ |
グリーン席です。 |
寝台個室 |
操舵室。 | 拡大 クルーズ客船飛鳥Ⅱ 日本最大の客船である。 |
青森県観光物産館 アスパムにて 地上15階の観光物産館 13階は展望室になっている。ここでおみやげを買ったが、実に広い。2Fにはパノラマ映画を上映している。360℃画面に映像が流れる。なかなか臨場感があって面白い。動きによっては、酔いそうになる。映写時間は20分ほど。おすすめ。 左画像はアスパム内で撮影したもの。 |
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下記の歌には青函連絡船が登場する。皆さんご存じ、大ヒットした、ロングセラーの歌である。 津軽海峡・冬景色 一番 うた:石川さゆり 作詞:阿久悠 作曲:三木たかし 上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は 雪の中 北へ帰る人の群れは 誰も無口で 海鳴りだけを きいている 私もひとり 連絡船に乗り こごえそうな鴎見つめ 泣いていました ああ 津軽海峡 冬景色 色彩のない灰色の世界である。連絡船とは青函連絡船であろうが、親しみとかではなく寂寥感を生じさせる言葉として使われている。わずかな日差しもこぼれてこない、もの悲しい世界である。それは主人公の今のこころであろう。もちろん希望に満ちた青函連絡船もある。当時、青函連絡船を利用した方々、また運航に従事した方々。たくさんの思い出が青函連絡船とともにあることだろう。 |
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