▼南部鉄器 オーブンパン25/こだわりやさん.com


 「南部鉄器に思う」抜粋 
長い時代を生き抜きそこに存在している道具達には間違いなく「必要性」「存在意義」があります。長く愛されてきた道具達にはその「理由(わけ)」があります。
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鉄のフライパンはその使い込んだ黒光り、油がスーッと表面を流れる感じ、食材を入れたときのジュワッという音、そして柄を握り持ち上げたときの重さ、何をとっても楽しいのです。そして料理は香ばしく、はるかに美味しい。
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 私は「南部鉄器」の調理道具に対してよく相棒という言葉を使います。どこか「ありがとう」と声をかけてやりたくなる表情をもっています。ものすごく愛着のわいてくる道具だからなのですが、それは長い歴史をもち、鉄鍋など、私たちの身近な生活において長い間主役を勤めたことが、記憶として私たちの遺伝子に組み込まれているからなのだ? などとへんな想像をしてみました。また人間は年をとると、しわや染みができます。それは一つの酸化現象の表れと思うのですが、鉄の酸化、錆びるという宿命を背負って変化する姿も同じく年をとることです。隣にいる相棒も同じく年をとるのです。人が年をとり、渋みとか深みをだすように、南部鉄器も静かに移ろい、その風合いを変えます。自然な素材そのものの姿を、私たちにさらけ出します。しかし本質が色あせることはありません。プラスチックがそのつやをなくし微細な傷ができ、劣化していくこととは異なります。錆びることを毛嫌いしますが、この現象なくして、鉄分補給はあり得ません。鉄器は身を削り、私たちに鉄分補給してくれるのです。なんともけなげです。けなげさが表に表れるのが南部鉄器だと思えてしまいます。そして南部鉄器は生きていると、どこか思ってしまうのです。実際錆に関しては、使う頻度を多して、最低限のお手入れで、私の場合、ほとんど気になることはありません。耐用年数、耐久性は抜群です。錆びて穴が開き寿命が尽きたということはまずないと思います。何十年と使えます。ただ、封を開いておろしたての時のようなピカピカの調理道具でいつまでもいてほしいという願望はもたないでほしいのです。
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 南部鉄器は重いといいますが、この重さこそ南部鉄器です。どっしり構え重い南部鉄器は頼りがいがあり父性的です。これは間違いなく私たちに安心感を与えてくれます。この重さはいわばふところの大きさであり、そのふところは、大量の熱を蓄えるいわゆる「蓄熱性」として調理に多大な貢献をしてくれます。 「軽い便利ということがもてはやされる現代だけれど、おいしいもの作ってくれるその力、それは分厚さ、この重さからくるのだよ」と、寡黙な南部鉄器は訴えているかもしれません。
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 南部鉄器をかっこいいと言っていただけるとしたら、そのインテリア性はチャラチャラ系のそれでなく、時が経てど、色あせない、本物の深い味わいを宿した本質として、しらずしらずのうちに感じ取っていただけているものと思っています。
                                         ウェブマスター



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