南部鉄器に思う

南部鉄器に思う。

 長い時代を生き抜きそこに存在している道具達には間違いなく「必要性」「存在意義」があります。長く愛されてきた道具達にはその「理由(わけ)」があります。

 私がお店を出したきっかけの一つに「鉄のフライパン」があります。最初使った鉄のフライパンは鋳鉄でできた南部鉄器ではなく、普通の少し厚口の、一般的に「鉄」といわれているものでした。フッ素コートしたものは好きになれず、使って楽しくありませんでした。しかし鉄のフライパンはその使い込んだ黒光り、油がスーッと表面を流れる感じ、食材を入れたときのジュワッという音、そして柄を握り持ち上げたときの重さ、何をとっても楽しいのです。そして料理は香ばしく、はるかに美味しい。どうして皆もっとこれを使わないのだろう?・・・これがもう一度料理道具を見直してみよう。そういうものを多く紹介しよう。これがきっかけになりました。

 南部鉄器はお店出す前の制作に勤しんでいる中で、出会いました。もちろん南部鉄器の存在知っていましたが、身近なものではなかったのです。ある展示会場で、南部鉄器に目が行きました。どっしり構えた、寡黙に鎮座する漆黒の道具達。もう一目惚れです。私自身、仕事に集中していて、アンテナが日頃よりぴんと感度よく張り巡らされ南部鉄器にすぐ反応したのだと思います。すぐに矢継ぎ早に質問を始めたました。すると明快な回答がどんどん返ってきます。そして道具達に対する惚れ込みようがはっきり伝わってきます。その時の偶然に合い説明してくれた担当者が、現在でも毎日のようにご指導頂いている、岩鋳 佐藤氏です。弊社が店を出しまったく反応のない長い期間も、温かく見守ってくれました。今も心より感謝しています。

 私や弊社のスタッフ達が南部鉄器に惚れ込んでいる分けをよく考えます。入出荷の折、毎日手に取りしていますが、飽きるということがありません。というかどんどん好きになってきます。どうしてかやっぱり考えてしまうのです。
 ここで安野光雅さんという著名な私の尊敬する画家の「鉄」に関する文章があるのでご紹介させていただきます。弊社ではもう1店舗、画材のお店を運営しているのですが、その業務の下調べの中で見つけたものです。なんと蒸気機関車の話で、調理道具やインテリアにはほど遠いようですが、読んでみるとなるほどと思わせてくれます。

 『その魅力はなんなのでしょう。子供のころの郷愁かもしれない、と思ってみますが、いまはSLファンがたくさんいて、機関車が走る日は、カメラや録音機を持った人がたくさん訪れ、格好の撮影場所に陣取ってその蒸気機関車が来るのを待つのです。
 その人たちにとっては、子どものころの郷愁というものはなさそうです。それでも蒸気機関車にひかれるのはなにか。むかしいろいろ考えてみて、とうとう、それは鉄でできているからではないだろうか、と思うようになりました。人間の中にも鉄分があるのだから、鉄は人間が生まれる前から人間に関係があって、信仰に近いほどの訴える力を持っているのではないか、という想像です。機関車が銅でできていたり、金でできていたりすると、それほどの魅力は持てなかったかもしれません。鉄の塊があえぎながら、進むとき、いかにも人間ががんばっているように思うのはわたしだけではなさそうです。』

           安野光雅著 NHK人間講座テキスト 絵とイマジネーションより抜粋    

 私は「南部鉄器」の調理道具に対してよく相棒という言葉を使います。どこか「ありがとう」と声をかけてやりたくなる表情をもっています。ものすごく愛着のわいてくる道具だからなのですが、それは長い歴史をもち、鉄鍋など私たちの身近な生活の長い間主役を勤めたことが、記憶として私たちの遺伝子に組み込まれているのからかな、などとへんな想像をしてみました。また人間が年をとると、しわや染みができ、それは一つの酸化現象の表れと思うのですが、鉄の酸化、錆びるという宿命を背負って変化する姿も同じく年をとることです。隣にいる相棒も同じく年をとるのです。人が年をとり渋みとか深みをだすように、南部鉄器も静かに移ろい、その風合いを変えます。自然な素材そのものの姿を私たちにさらけ出します。しかし本質が色あせることはありません。プラスチックがそのつやをなくし微細な傷ができ、劣化していくこととは異なります。錆びることを毛嫌いしますが、この現象なくして、鉄分補給はあり得ません。鉄器は身を削り、私たちに鉄分補給してくれるのです。なんともけなげです。けなげさが表に表れるのが南部鉄器だと思えてしまいます。そして南部鉄器は生きていると、どこか思ってしまうのです。実際錆に関しては、使う頻度を多して、最低限のお手入れで私の場合、ほとんど気になることはありません。耐用年数、耐久性は抜群です。錆びて穴が開き寿命が尽きたということはまずないと思います。何十年と使えます。ただ、封を開いておろしたての時のようなピカピカの調理道具でいつまでもいてほしいという願望はもたないでほしいのです。

 南部鉄器は重いといいますが、この重さこそ南部鉄器です。どっしり構え重い南部鉄器は頼りがいがあり父性的です。これは間違いなく私たちに安心感を与えてくれます。この重さはいわばふところの大きさであり、そのふところは、大量の熱を蓄えるいわゆる「蓄熱性」として調理に多大な貢献をしてくれます。(調理に優れた能力は別のページ、項目を参照してください) 「軽い便利ということがもてはやされる現代だけれど、おいしいもの作ってくれるその力、それは分厚さ、この重さからくるのだよ」と、寡黙な南部鉄器は訴えているかもしれません。

 現在、岩鋳の鉄瓶はフランスの三つ星レストランで使われ、そして急須はMoMA・ニューヨーク近代美術館のカフェでの導入が決まりました。海外での人気はお膝元の日本を凌ぐ勢いがあります。しかし日本でも最近では、洋のおしゃれな空間を演出する道具として南部鉄器が登場する雑誌を多く見かけるようになりました。南部鉄器をかっこいいと言っていただけるとしたら、そのインテリア性をチャラチャラ系のそれでなく、時が経てど、色あせない、本物の深い味わいを宿した本質として、しらずしらずのうちに感じ取っていただけているものと思っています。
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