米について

 私は酒好きである。酒好きに多いのだが、あまりつまみは食べない。腹がふくれると酒がまずくなるのも理由だが、もう一つ最後に米の飯を食うためだ。最後にみそ汁、漬け物、ごはんこれだけで質素に終えるのだ。これは毎日欠かしたことがない。最近本を読み直していたら、ごはんに関する心惹かれる記述があったので、ちょっと紹介したい。
雁屋 哲 美味しんぼ塾 より抜粋
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戦後すぐ、私の父は、石炭会社に勤めていたが、経理部なので、炭坑に入って働く人たちより配給米が少なかった。実際に石炭を掘るのは重労働なのでその人たちに優先的に配給されたのである。当時のことだから、毎日弁当を持って行く。
 父は、一応役職に就いていたので、みっともない弁当は持っていけない。当然、米の飯を弁当箱に詰めていく。しかし、それでは、私たち家族に米の飯は回ってこない。毎朝、母は父の弁当を作ると、鍋についているお焦げを集めて小さなおにぎりを作ってくれる。それを私たち兄弟は塩だけつけて食べる。そのにぎりめしの美味しかったこと。その味は死んでも忘れない。もう一つ忘れられないのは、母はそうしてにぎりめしを子供達に与えながら、自分はふかしたサツマイモの尻尾を食べていたことである。(このことは、美味しんぼんの中で、小泉局長の思いでとして書いた)
 米は美味しい。しかし危険だ。
 私の心の中には、米に対する愛憎の葛藤があるのである。

▲岩鋳・ごはん鍋