南部鉄器とその起源
■■■繊細な鋳肌と重厚な味わいのある着色が特徴の南部鉄器は、みちのくの小京都「盛岡」の歴史と自然が長い時間をかけて作り上げた、盛岡が誇る伝統工芸品です。その歴史は古く、約400年前より、文化に造詣の深い代々の南部藩主に保護育成され、今日まで受け継がれてきました。
EC諸国・北米・韓国などを市場とする輸出では国内を上回るペースで市場が拡大し、南部鉄器のことを「岩鋳」とまで言われるようになっています。 |
■南部鉄器 南部鉄器とは、旧南部藩主の城下町盛岡市を中心とした地域で生産される「鋳造の鉄器」でございます。鋳造とは、砂と粘土で型(鋳型)を作り、これに溶かした鉄を流し込んで物を作る方法を言います。この鋳型に2種類あり、鋳型を焼き固めて作る焼型法(茶の湯釜・鉄瓶)と鋳型を焼かずに作る生型法(鍋・風鈴・急須)ございます。 ■起源 茶道に造詣の深かった南部藩主重直公が、藩内から良質の鉄が産出することから、これを利用して藩の特産品として作ることを思い立ち、京都出身の釜師を召抱えて茶の湯釜を作らせたのが、南部鉄器の起源でございます。その後、土瓶のかわりに、鉄製の品を使ってはどうだろうかと考案し、抹茶式用の釜に口をつけ、をつけて試作したものが南部鉄瓶のはじまりとされ、様々の工芸品が作成されて現在に至っております。明治以降は、海外の万博その他で高い評価を得ており、国から伝統的工芸品第1号の指定を受けております。 江戸時代南部藩主のアイデアでスタートし明治・大正・昭和・平成と連綿とこの伝統を踏まえ優れた製品を作り続けております。 |