ちゃぶ台と昭和30年代

 私は昔からダイニングテーブルで食事をとったことがない。もちろん自宅でのことだ。私の実家も、かって家を大幅に改築するにあたって、モダンなダイニングキッチン&リビングルームの設計図ができあがってきたのだが、没にしてしまい、昔ながらの古くさい間取りに変更させてしまった。私は、いつ何時も畳に座って食事をしている。これは習慣からくるもので、子供の頃からの環境と、ダイニングテーブルの居心地の悪さを克服できず、いつのまにかそこで食事する機会を逸してしまったことによる。 今、ちゃぶ台が静かな人気と聞く。しかし私にとっては、レトロな意味でのちゃぶ台は別として、ちゃぶ台は、いまだに身近な存在だ。子供は自分の机があってもいつもちゃぶ台を使う。テレビの音としゃべり声、鉛筆の音、教科書をめくる音、これらがちゃぶ台の上で交差し、渦を巻く。わが家はかなり狭いが、数分で行けるすぐ近くの実家は、部屋数がそこそこある。しかし皆が集まるのは、必ず6畳の茶の間のみで、応接間のソファーなどだれも寄りつかず、物おきにしかなっていない。これは、どうも昭和30
年代の家族の様子に大変似ている気がする。

 昭和30年代。戦後の復興も進み、食糧事情も改善され、日本が高度経済成長の波にのり、大きく発展していった時代である。電化製品も多く登場してきた。たぶん多くの人が豊かさに向かって希望を持って生きていった時代であった。しかしまだ住宅は狭く、「食寝分離」の家はそう多くなかったと思う。だからお膳も折り畳みで移動のたやすい物が重宝された。ちゃぶ台はそういう時代の家族の食事の場のみならず、会議室、勉強部屋、応接間、娯楽...いろいろな役目を担っていた。だからその分家族が密接に関われたのだと思う。家族団欒というにふさわしい状況だったと思う。もし私が大豪邸に住めたとしても、きっと6畳間の畳の部屋をつくり、1年中そこを住みかにするに違いない。

 現在昭和30年代が見直されている。昭和30年代の生活を省みたテーマパークなるものも多く登場している。昭和30年代は、人々が戦後の混乱から抜けだし明るい未来への希望をもった時代。欧米化へと突き進む状況ではあるが、古き良き日本を色濃く残した時代でもあった。家庭の生活には手仕事が多くあり、生活をおくる為の過程にかなりの手間を要した。家族はそれにともない、まとまりや分業がある程度必要だった。だからそこに生活の味わいが生まれた。そうした中、古い日本の文化と欧米化が重なり、現在の視点から見ての「レトロ」と呼ぶ、そこはかとない憧憬とか憂いを秘めた、独特の文化が存在していった。

 今、昭和30年頃の「ごはん」を中心とした食事が見直されている。お米が最も食された時代だ。これは科学的根拠に基づいた見直しと思う。昭和30年頃が最も良き時代であったと言うつもりは毛頭ない。時代は科学や経済の発展を大事な道連れにしている。止まることがあってはならい。問題は変化するということが、すべて善であると思わないことだろう。一部の昭和30年代への回帰の現象は、著しい欧米化、合理主義へのアンチテーゼと思う。

 
▲小さいちゃぶ台を展示しております。  ▲台場一丁目商店街